「仏像 一木にこめられた祈り」展@東京国立博物館

檀像一木作りからはじまり、円空、木喰で終わる流れの展覧会を心ゆくまで楽しんできた。6時近くの入場だったため中も比較的空いていた。
檀像はあの小ささと細かさが好き。唐時代の十一面観音像の細工技術には毎回驚く。数珠や耳飾など輪になっているところなんてどうやって彫ったんだろうって不思議。大根を輪につなげて切る包丁テクニックみたいなものかしら。
展示前半は観音像や四天王などオーソドックスなものが多く密教系の異形の仏像は少なかった。東大寺の試みの大仏や唐招提寺の観音像、大安寺の揚柳観音などお馴染みの仏像が続いた後に見たやたらおでこの大きい地蔵像や煙突のような髷の観音像などは普通以上のインパクトだった。
特に秋篠寺の地蔵の顔の宇宙人っぽさときたら。なんだか妙な顔立ちの仏像は解説にて全て霊威という言葉で片付けられてたような気がしないでもない。上手い言葉だ。
目玉展示は願徳寺の国宝菩薩半跏像。ポーズや衣の優美さから女性的なお顔を想像するのだけれど、予想するよりかなり男性的な力強い顔立ちでびっくりする。願徳寺で拝観したときは照明のせいかもっとずっと女性的に見えたと記憶しているのだけれど、正面からの灯りの下ではギュッと結んだ口元などに意志の強さが感じられた。台座を支える小さい天部(なのかな?)達が可愛らしい。小さいのに細かい彩色が施されていて、できればこちらにもスポットを当ててもらいたかった。衣の影で隠れてしまっているのがもったいない。


後半は鉈彫りと円空&木喰とプリミティブな仏像のオンパレードだった。
鉈彫りはお寺巡りではほとんどお目にかかったことが無い。人の手の跡が感じられるという点では面白いのだけれども、個人的にそれ以上惹かれる点は無し。
円空もそれほど興味はない。本当に木の中から生まれてきたように見える不動明王が良かった。
木喰のふっくらした頬は今の時代に受けそう。
向源寺の十一面観音を見るためにもう一度行きたい.