夏目漱石『虞美人草』

夏目漱石虞美人草』読了。何回目だろー.読むたびごとに違う感想を持つものの、自分内クライマックスはいっつも同じ↓の部分.甲野さん、好きだー!
自分でも不思議だけど、漱石の書く生活能力ゼロの高等遊民系なダメ男にどうしてこんなに惹かれるのかしら.素敵過ぎる.ふぅ.

「僕の方が母より高いよ。賢いよ。理由が分っているよ。そうして僕の方が母より善人だよ」
 宗近君は黙っている。甲野さんは続けた。――
「母の家を出てくれるなと云うのは、出てくれと云う意味なんだ。財産を取れと云うのは寄こせと云う意味なんだ。世話をして貰いたいと云うのは、世話になるのが厭だと云う意味なんだ。――だから僕は表向母の意志に忤って、内実は母の希望通にしてやるのさ。――見たまえ、僕が家を出たあとは、母が僕がわるくって出たように云うから、世間もそう信じるから――僕はそれだけの犠牲をあえてして、母や妹のために計ってやるんだ」
 宗近君は突然椅子を立って、机の角まで来ると片肘を上に突いて、甲野さんの顔を掩いかぶすように覗き込みながら、「貴様、気が狂ったか」と云った。
「気違は頭から承知の上だ。――今まででも蔭じゃ、馬鹿の気違のと呼びつづけに呼ばれていたんだ」
 この時宗近君の大きな丸い眼から涙がぽたぽたと机の上のレオパルジに落ちた。
「なぜ黙っていたんだ。向を出してしまえば好いのに……」
「向を出したって、向の性格は堕落するばかりだ」
「向を出さないまでも、こっちが出るには当るまい」
「こっちが出なければ、こっちの性格が堕落するばかりだ」
「なぜ財産をみんなやったのか」
「要らないもの」
「ちょっと僕に相談してくれれば好かったのに」
「要らないものをやるのに相談の必要もなにもないからさ」

でもって、今回糸子が物凄く可愛らしく素敵な女性に映った.そういやこういう素直で大らかで愛情溢れる女性を漱石が書くのは珍しいことじゃないか.宗近が甲野に糸子について語った部分↓も、その前の糸子と甲野、糸子と宗近の会話の後なだけにじーんときた.なんて可愛い女性なんだ.

「糸公は君の知己だよ。御叔母さんや藤尾さんが君を誤解しても、僕が君を見損なっても、日本中がことごとく君に迫害を加えても、糸公だけはたしかだよ。糸公は学問も才気もないが、よく君の価値を解している。君の胸の中を知り抜いている。糸公は僕の妹だが、えらい女だ。尊い女だ。糸公は金が一文もなくっても堕落する気遣のない女だ。――甲野さん、糸公を貰ってやってくれ。家を出ても好い。山の中へ這入っても好い。どこへ行ってどう流浪しても構わない。何でも好いから糸公を連れて行ってやってくれ。――僕は責任をもって糸公に受合って来たんだ。君が云う事を聞いてくれないと妹に合す顔がない。たった一人の妹を殺さなくっちゃならない。糸公は尊い女だ、誠のある女だ。正直だよ、君のためなら何でもするよ。殺すのはもったいない」

藤尾は高飛車でプライドだけが高く可愛げのない女性だけど、改めて読み直してみるとあそこまでひどい扱いを受けるほど悪い女とは思えない.いいじゃん、自分だけが可愛い女性が自分の幸せだけを追い求めたってさー.ああいう女はプライドが砕け散ったときに死んじゃうってことですかね.
私が漱石を読む姿勢は、あるタイプの人がハーレクインロマンスにうっとりするのと同じスタンスなので、基本的に(私にとって)素敵な男性が素敵に描かれてりゃいい.だから『虞美人草』は甲野さんが素敵であればそれでいい.でも一般的に小説としの出来は良くないんでしょう.車3台がそれぞれの目的地に向かうあたりから急いでまとめました感がどうしてもぬぐえない.後の漱石ならこういうラストにはもっていかないと思うもの.