蜷川幸雄演出『近代能楽集』@彩の国さいたま芸術劇場

作:三島由紀夫 演出:蜷川幸雄
卒塔婆小町』壤晴彦 高橋洋 他
『弱法師』藤原竜也 夏木マリ 瑳川哲朗 鷲尾真知子 清水幹生 神保共子

感想は後ほど.
藤原君は相変わらず台詞回しが物凄い.
【追記】
高橋さんも壤さんも素晴らしい役者だし卒塔婆小町自体の話も好きだし、見る前までは『卒塔婆小町』も楽しみにしてた.でも見終わった後は『弱法師』で一杯になってしまった.
三島は比較的読んだ作家だけれども近代能楽集には手を付けたことがなかった.そもそも戯曲として『弱法師』のほうが派手で強烈な印象が残る.それに加えて藤原君の芝居がまた凄いんだ.藤原君はハムレットや今回の俊徳のように、狂気をはらんだ悩める若者をやらせると右に出るものがいませんね.
どこにでもいる若者像ではなく、三島やシェイクスピアのようなレトリックを散りばめた台詞をきっちり語れる若手というのは藤原君以外に思い浮かべることができない.逆に『オイル』や『ロミジュリ』の藤原君はあまり印象に残らなかった.
高橋さんは『お気に召すまま』の詩人も『将門』も良かったけど今回はいまひとつ精彩にかけた印象だった.

そんなわけで『卒塔婆小町』.最初どこからあのバチンバチンという音がするのかわからなくて、音が気になって話に集中できなかった.しばらくたってようやく上から花が落ちてる音だということがわかった.ほぼ2人芝居といってもいい小町と詩人との台詞の応酬が醍醐味な芝居なだけに、その台詞に引き込まれていかないとちっとも話にのれない.自分のその日の気分というのもあったとは思うけれど、今回は台詞が耳から耳へと流れてしまい脳に入ってくれなかった.これはちゃんと戯曲を読み直します.


『弱法師』、最後の「僕ってね…、どうしてだか、誰からも愛されるんだよ」という台詞を言えるのは藤原竜也をおいていないでしょう.あの最後の一言が今でも胸の中から去ってくれない.あれは凄い.台詞の内容とは相反する圧倒的な孤独が俊徳を取り巻いていて、その絶望的なまでの自覚と諦念とにガツンとやられてしまった.
とにかく藤原君の俊徳のエロキューションにぐいぐい引きこまれた.緩急の付け方、強弱や声色の変化など、テクニックが凄いです.冒頭はあまりに技巧的過ぎて人工的に思えたけれど、芝居が進むにつれてまったく気にならなくなった.特に俊徳が5歳の時に見た世界の終わりの風景を語る場面では、俊徳の語る言葉がそのままイメージとしてはっきりとこちらの脳裏にも浮き上がってきた.
ロミオの苦悩の表現はかなりハムレットとかぶっていて(同じシェイクスピアということを差っぴいても)、実のところあまり感心しなかった.同じパターンかって冷静に観察してしまっていた部分もある.でも今回の俊徳はハムレットとは異なる表現を駆使していて新たな魅力を見せ付けられた.

原作未読なのでこの芝居を見ただけだと俊徳の告白を聞いても冷静な桜間さんって印象だったんだけど、原作的にはどうなんだろう.今回の芝居を見た後すぐに思ったのは「高橋恵子で見たかった」ということ.夏木さんが持ってるオーラというのはどこまでも強くて、その強さというのに日本的な湿り気が全然ない.高橋さんは一見たおやかで優しげなんだけれど、奥底に実は最も強い女性的な情念を持ち続けてる印象がある.だから無自覚なファムファタールに似合うのはどちらかというと高橋恵子だと思う.あ、でも夏木さんもちろん凛とした桜間でとても素敵でした.

ちょっとだけぐぐって見ると能の『弱法師』は歌舞伎(というより浄瑠璃か)だと『摂州合邦辻』につながるらしい.そうなのか!『摂州合邦辻』の俊徳丸の元ネタはこんなところにあったんだ.合邦というと玉手しか印象に残らないからおぼろげにしか名前を覚えていなかった.あまりに弱法師と合邦では話が違いすぎて、名前と境遇以外にどこがリンクするのかわからない.少し調べてみるのもおおもしろそうだ.
能の『弱法師』では日想観が語られるのに対し、三島は真っ赤な火に包まれた世界の終わりですよ.同じ西を語るのにこの違い.三島は高校大学時代に好きでちょこちょこと読んでいた.歳ととってあの暑苦しさが苦手になってしまいあまり手に取ることがなくなったけれど、近代能楽集は近々読んでみよう.原作の俊徳に会うのが楽しみ.