是枝裕和監督『DISTANCE』

DISTANCE(ディスタンス) [DVD]

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音楽もなければ人工照明もなし、全編ハンディカメラで撮影されたというドキュメンタリータッチの映画だった.こういったいわゆる撮影秘話など一切知らず、カルト宗教による無差別殺人実行犯の遺族たちの話という知識しか持たない状態で見た.


うーん、どうなんだろう.感想、難しいなあ.テーマから予想したほど重苦しい映画ではなかった.ただ暗い画面、聞き取れないほど小さい台詞など自宅のテレビで見るには不都合な映画なことだけは確かだ.最後の最後で「えっ!?」って台詞をARATA演じるところの敦が吐くもんだからスタッフロールが流れる黒画面を呆然と眺めしまった.これってまんまと監督の狙いにひっかかったってこと?


この映画の役者たちには事前に自分の役の設定と簡単な台詞や話の方向性くらいしか渡されておらず、自分以外の役が過去にカルト宗教にはまった身内とどういう関わり方をしてたのかといったことすら知らされていなかったらしい.つまり、この映画の中で交わされる会話というのは、脚本に基づいた段取り通りのものではなく、個々の役者が“演じるている役”としてその場その場で考えて発しているものだということだ.そのため、台詞がかぶったり聞きなおしてみたり長い長い沈黙があったりと、即興性の強い自然な会話が続いている.


前作『ワンダフルライフ』ではプロの役者と素人を上手く絡めることでノンフィクションとフィクションを融合し、それによりドキュメンタリーじたてでありながらファンタジックでもあるという不思議な映画が出来上がっていた.が、今回は全員プロの役者で設定がドキュメンタリー風.見ながら常に違和感を感じてしまったのは、これが演技なのか素の役者なのかそのあたりが微妙すぎたからなのかもしれない.画面の作りや会話が自然なだけに、「役者が役を演じている」という当たり前なことが浮いちゃってたような気がしてならない.つまり、素の役者と演じる役柄との境界線がひっじょーに曖昧なの.だってこれ浅野忠信じゃんって思っちゃう.敦はARATAとどこが違うのって見えてきちゃう.「演じている」気配が希薄なだけに素の部分が透けて見えすぎる.監督はカルト宗教加害者の遺族が撮りたかったのか、ARATA君や伊勢谷君や浅野君を撮りたかったのかどっちだろう.役者の感性を見る映画としてなら納得だけど、カルト宗教を扱う映画としてはどうなのかなあ.過去の回想シーンと山小屋での現在が上手くシンクロしないのも気になったけど、彼らの人生において本当にそう捉えられるべきならばこれで成功してるんでしょう.


多分相当静かな空間で2時間半びっちり集中して見たなら、また違った感想が出たんだと思う.これは是非映画館で見ておきたかった.素直に好きとは言いがたいのに、じわじわと後ひく映画だ.見てからこっち、ずーっといろんな断片が気になってしょうがない.常に頭のどこかでこの映画のワンシーンが巣くってるって感じ.うっわ、たちわる〜


もう一度上記のことや「ディスタンス」というタイトルをかみ締めながら深夜に挑戦してみましょう.