爆笑問題のススメ 鴻上尚史

ゲストによってちょくちょく見る番組に鴻上さん呼ばれて演劇論を語ってた.
「声で遊ぼう」というなかなか興味深いテーマです.ワークショップの一環として普段からやっていることらしいけれど、芝居を見る立場からでもとても納得の出来る話だった.

日本人はよいことを言えば伝わると思っているけれど、良いことも良い言い方をしないと伝わらない.
内容がどんなに立派でも表現しないと伝わらない.
表現と癖は違う.癖は何故それを選んだのか意識してない.表現は意図的に選ぶこと.

声でいうなら「大きさ・高さ・速さ・間・音色」によって表現が変わる.一つのセリフでもこの5つの要素が変わるれば違う感情が込められる.これを意識的に選ぶことが表現するということだ.

“感情が豊かになるためにいろんなものを見ましょう”“感情が豊かになるといろんな表現が出来ますよ”ではなくいろんな言い方をすることによって経験したことのない感情が身体に沸いて来る
日本人はほっておくと気持ちにいきがちだけど、“目に見えるものから演技に取り組み方法が確実”

太田さんのほうが、学生時代スタニスラフスキーの演劇論を「感情じゃなく形から入れ」と読み取ったけれど先生にはまったく理解されなかったと、当時を思い出したかのように憤っていた.歌舞伎の事例を出して「形式から生まれる感情がある」とも言っていたけれど、凄くわかる.たまたま今戸板センセの歌舞伎論を読んでいて、同じように感情と形から考える歌舞伎の演劇論が語られているので非常にシンクロする部分があった.
感情だけあって形のない演技というのは意外と伝わらない.役者が浸りきってしまってるのは客席が引いてしまう危険性が高いと思う.私個人は舞台の上に居る役者には役に没頭するというよりはどこかしら自分を客観視する冷めた視点を持っていて欲しい.


ここでは演劇論としての形式と感情についてにしか言及されていなかったけど、こういうのって普通の生活にも転がってる事象だと思う.まずわからなくてもやってみろと.やってみればわかるってこと一杯あるでしょ.理屈言う前にやってみるって大切なことだよなあ.結構自分を顧みて反省することも多い.私は多分、じゃなくて絶対理屈を先に言うタイプだ.「無駄なことをしない」ということも大切だし、そのあたりのさじ加減は難しい.


とまあ鴻上さんの語ることには共感したけど、鴻上さんの芝居は共感するのが難しい.
第三舞台がらみの役者はみな達者だし、成志さん、京さん、勝村さん、小須田さん、長野さん、西牟田さんなど好きな人も多い.多分上記のことを含めて鴻上さんの役者や演技に対する感覚は好きなんだと思う.ただ脚本や演出といった鴻上さん自身が持つ世界には入っていけない.