PARCO歌舞伎『決闘!高田馬場』

【作・演出】三谷幸喜
【出演】市川染五郎 市川亀治郎 中村勘太郎 市川高麗蔵 松本錦吾 澤村宗之助 市村萬次郎 & 三谷幸喜

WOWOWの中継が入っていたおかげで前説で三谷さんが登場!
相変わらずの喋りの上手さでひとしきり盛り上げてくれました。っていうか、ここが一番笑ったかも。


感想はのちほど。
歌舞伎というより歌舞伎の手法を取り入れたお芝居って感じでした。
今日は秋本康、波野久里子、近藤芳正を見かけました。勘太郎ちゃんのアドリブ(?)で一番受けてたのが波野久里子だった。


【感想追記】


日参させて頂いているお芝居好きな方々のブログでは大変好評なので、いまいち書きづらいのですが、うーん、普通?
もちろん面白楽しく見させてもらいましたが、大満足というわけでもないかなあと。


私はなんだかんだいって古典歌舞伎が大好きなので、「歌舞伎」の文字を見ると古典歌舞伎を思い出してしまい、そういう先入観がチラホラ観劇中に顔を出してしまったのも否めません。


人形使ってみたり、楽屋落ちや時事ジョークが入ったり、そういうのはむしろ歌舞伎っぽくていいなと思った。浅葱幕の変形版を上手く場転に使ってたり、ミニ廻り舞台を活かしたセットを組んでいたり、早代わりがあったりと、自然な形で歌舞伎のお約束を取り込んでいるのはさすがでした。
ツケ打ちの人がおもむろにシュノーケルつけてたり、セットの中にいつのまにか長唄さんが座ってたりと、遊び心も忘れてません。


役者はみな楽しそうだった。新しいことやってるっていう気概のが客席にも伝わってきて、それがまた更なる相乗効果を生んでいた。
三谷さんが言っていた通り本当に動きっぱなしで若いエネルギーがみなぎっていた。染五郎は新感線で、勘太郎ちゃんは野田マップで、亀治郎は蜷川十二夜であれ以上に動かされてたからある程度慣れてはいるだろうけれど、歌舞伎興行はお休みないからねえ。毎度思うけれども、歌舞伎役者の体力には感服です。


染も勘太郎ちゃんも見る前から出来る子達ってのは予測がついたので、期待以上の驚きはなかったかなー。不安要素がなくて良くも悪くも安心できる組み合わせだから。(海老蔵の信長のほうがどれほどドキドキハラハラしたことか。)
亀治郎はやけにはじけてるという噂を聞いてたけど、『十二夜』のほうが好き放題やってたように思う。今回はあれに比べたらお遊びが少なく真面目に勤めてたように見えた。十二夜は全員が歌舞伎テンポの中一人あのノリだったから、同じことやっても倍目だったという可能性もなきにしもあらず。いずれにせよ安定して上手いですよ。自分が求められていることを的確に出来てるってのは、見ている側にとっても気持ちがいいものです。
萬治郎さんはいつもあの声の通り具合がツボなのですが、今回もやはり誰よりも滑舌よく、誰よりも通る声でした。
個人的に面白かったのは高麗蔵。かしこまったお姫様とかお嬢様のイメージが強かったから、男性の役をやってるのがなにか面映くて見ていてモゾモゾしてしまった(笑)


気になったことのひとつは脚本。普段の古典歌舞伎では突っ込みどころのありすぎる展開に慣れきっているので今更脚本に対してどうのこうの思わないのだけれど、今回はアイデンティティの確立といった非常に現代的なテーマを類型的な形ではなく比較的個に特化した心理描写を含めつつ描いていたので、かえって主人公の染五郎の描き方が雑だなあーと思ってしまった。やけにリアルな心理描写と類型的な描写のブレンド具合が中途半端な印象があった。


2年前に試合に敗れたショックが原因で今のような飲んだくれになっちゃったっていうのがピンとこなくて、「え?そんだけ?」ってそのあまりの子供っぽさにびっくりした。拗ねてただけかヨ!
回想シーンでの頼りになる姿からして、まさかそんな単純な理由だとは思いもしなかったから、理由がわかってドン引きですわ。勘太郎ちゃんや染の熱のこもった芝居からして、もっと大仰で深刻な原因がかくれてるのかと思ったのにー。父親が死んだことについても亀治郎がちょろっとしゃべったくらいで、その関係性については特に語られてなかったよね?お家のこととか絡めてきてくれたら、もう少しわかりやすかったのに。古典歌舞伎だと「身分や家長制度に翻弄される」が当たり前になってるから、無意識のうちに脳が勝手にそこを先読みしちゃってた部分があって、あっら〜??ってすっごい肩透かしをくらいました。これが現代歌舞伎、現代の脚本の特徴ってことなんだろうね。


どうせ歌舞伎と銘打って興行打つなら休憩30分の3時間半くらいにして、じっくり描写してくれてもよかったのに。でも、それはもう三谷芝居ではないか(役者も死ぬだろ…)。うーん、難しいな。
あと回想シーンが間延びしすぎで眠くなってしまった。これはひたすらグルグル廻ってるだけの演出のせいもあるかな。途中でだいたい展開が想像できるでしょ。まだあんのかってぐったりしたもん。


最後に義太夫のマイク。これ、無いほうがよくない?歌舞伎座でも生声でやってんだからPARCOなんて余裕でマイクなしでいけると思うのに、なんでマイク越しなんだろう。
もし再演があるとすれば義太夫だけは生声でお願いしたい。ずらっと並んでないからバックの演奏に負けちゃうのかなあ。


コクーン歌舞伎ならぬパルコ歌舞伎という名称が使われるくらい歌舞伎公演が定番になったら、この路線が歌舞伎として定着していくのかもしれない。