RED DAEMON

BSで放送された野田秀樹『RED DEAMON』を見た.野田脚本をイギリス人俳優を使いロンドンで上演された芝居だ.放送の前のインタビューで日本語の脚本を英語に翻訳する難しさを野田さんが語っていた.
たとえばこの芝居の舞台となる漁村ひとつをとっても、日本人が「漁村」という言葉を聞いて思い浮かべるイメージというのは大体共通の認識の上に成り立っているのでいちいち説明する必要がない.ところが「漁村」という言葉に対する共通のイメージを持たないイギリス人に対しては説明を加えなくてはならないのだとか.
ひなびた漁村に流れ着いた異国人(野田秀樹)を赤鬼と呼び忌み嫌う閉鎖的な村人と、彼を受け入れる変わり者の兄妹が赤鬼とともに辿る運命が描かれていた.
多分同じ脚本を日本人の役者がやったらもっと泥臭い芝居になるんだろうなあって思いながら見た.赤い衣装やシンプルな舞台装置の中でイギリス人俳優に演じられると非常に現実感が薄くキレイなものになっていた.あ、でも野田秀樹って『パンドラの鐘』の蜷川版との違いを思うと、こういう重いメッセージを浮遊するような軽やかな味付けをするのが好きなのかしら.
言葉遊びが多く盛り込まれた野田脚本を字幕で見る距離感というのを全編を通じて感ぜざるをえなかった.「日本語の脚本」→「英語へ翻訳」→「日本語の字幕」と三段階で手が入ってしまっているので、最終的にこちらに届く言葉にはオリジナルからの情報が欠落してしまっている.言葉そのものが大きな意味を持つ脚本なだけに、英語しかわからない人、日本語しかわからない人、両方わかる人では届く情報が大きく違うんじゃないかと思えてならなかった.